3/19/2011

2011年3月11日。




東日本大震災で被災された方々へ心よりお見舞い申し上げます。




3月11日、僕は前日からひいた風邪の影響で高熱が出てしまい朝から家で静養していました。
わりと暖かな日だったような記憶があります。
暇を持て余していたし、体調さえ良ければ撮影にでも行きたい気分でした。
午後になって薬が効いてきたのか、少し楽になって、
シャワーでも浴びようかと思った、その時に揺れを感じました。



東京に来た当初は、地震がくるたびにビビっていた僕ですが
最近は、慣れたというか、「ああ、また揺れてるな」くらいにしか思わなくなっていました。
でも、この揺れは何となくいつもと違う気がして、とりあえず外に出てみました。
でも外に出てみると、いつもと変わらない日常がありました。
揺れもすぐにおさまりました。



なんとなく恥ずかしくなって家に戻り、今度こそシャワーを浴びようとした時に
さっき感じたのとは明らかに揺れの違う大きな地震が来ました。




とりあえず外にでようとかいうレベルじゃなく、これはヤバいと思いました。
カメラバッグにカメラとHDと財布を詰め込んで、猫たちと一緒に逃げなきゃ!
と思ったら、ディーもミンもビビってベッドの下に隠れていくら呼んでも出てこない!
仕方ないので、窓を開け、玄関も開けっ放しにして外に出ました。




今度は外に出てもそこには日常はありませんでした。
近所の方たちが皆外に出てきていたし、揺れもハンパじゃない。
停車してる車が揺れで弾んでいるのを、はじめて見ました。
隣接するビル同士が揺れでぶつかりそうに見えたし、
目の前の酒屋さんの棚からお酒が崩れ落ち、瓶は割れ、アルコールの匂いが鼻をつきます。
鳴り響くサイレン、人々の悲鳴...
そしてなにより、この揺れが永遠に続きそうで、恐かった...
時間にしてどれくらい揺れてたんだろ?
多分何十秒とかそんなものだと思うんだけど...




揺れがおさまって、会社にいる、かみさんは無事なのか
友人達は無事なのか...携帯も繋がらない、唯一、Twitterだけは見ることができた。
電車が終日、運休すること、それにより帰宅できない方たちが大勢いること
仲間も何人か帰宅難民になっていること、携帯のバッテリーが心配なことを知った。
この時点で僕にできる事は無駄なツイートをしないで
フォロワーさん達に少しでもスクロールさせないようにすること。
知人とのやりとりは、DMでやること。
求めているであろう情報をRTすること。


幸い僕は家に帰る事ができたので、残して来た猫たちが心配だし
PCから情報を流さなきゃと急いで帰宅しました。



玄関先に立って僕は愕然としました。
うちは玄関入ってすぐにキッチンなのですが、食器棚が倒れて、
食器のほとんどが割れて散乱し足の踏み場もありません。
おまけに本棚も倒れて、猫たちのいる部屋に入る事も出来ず...
でも呆然としてても仕方ないので、土足で入り、倒れた棚を起こし、
30分くらいで何とか入る事ができました。
猫たちがいた部屋は、何事もなかったかのように無事だったのは幸いでした。
ベッドの下を覗いたら2匹で寄り添っていました。




この時点でも余震は断続的にあり、いつでも外に出れる体勢はとりつつ
情報を拾っていく作業に入りました。
間違った情報だけは流したくなかったので、信用できるソースのある情報だけを
拾っていきました。
千葉のコンビナートが爆発したとか、東京で火災が相次いでいるとかを見て
東京が大変な事になった、明日からどうなるんだろ....と
この時点の僕は完全に自分も被災者だと思っていました。


そう、テレビをつけてニュースを見る前までは....



被災された皆様へ対し
頑張ってください、祈っていますとかしか言えないのは誰もが悔しいはずです。
僕にできることは小さいかもしれませんが、できることをできることから
させていただくつもりです。



そして、心配のメールをいただいた皆様、
メールの返事も書けず、すみません。
僕は全然、大丈夫です。ありがとうございます。